2006年03月04日
ルーテル教会のミサ
2月26日(日曜日)
スウェーデンに来てキリスト教のミサに預かるとは思いも及びませんでした。
ヴィンセント君の血のつながらないおじいちゃん、つまり、おばあちゃんの夫のペルさんがルーテル教会の牧師さんなのです。ヴィンセント君が
「ペンショナー(年金生活者)となったおじいちゃんが日曜日にあげるミサにいらっしゃいませんか?たまのことなのでので、いかが?」というメールをくれたので、マルモの近くのUPPAKRA
(Aは頭に○がつきます)という教会まで、お父さんのウルフさんの車でお母さんのカメラさんとヴィンセント君とで出かけました。
上は30分前に教会に入るペルさん。
スウェーデンがカトリックからプロテスタントに改宗したのは16世紀のはじめ、グスタフ・ヴァーサ王の時代です。
1523年にはスウェーデン語の聖書が刊行されyています。
おじいちゃんのミサは、“不良カトリック”の私にも魂がやすまるミサでした。スウェーデン語がわからない私ですが、
式次第がカトリックと酷似しているのに驚きました。もともと、ルーテル教会はカトリックに近いミサをあげますが、この日のミサはまさにカトリック。一般的なプロテスタントの礼拝とは違いました。つまり、
ヴァーサ王は政治的な理由で改宗したので、宗教的には変える必要がないのだとわかりました。ミサで感じたのはペルさんの声のすばらしさ!声、
発声が人に影響を与えることをあらためて認識しました。
隣の席で聖歌を歌うおばあちゃんのウッニさんのソプラノも絶品。
ウッニさんはルンドの音楽学校から、ストックホルムの音楽大学を卒業した本格的名オペラ歌手。結婚して21年、この間、ペルさんのミサを、
ウッニさんは美しい歌声で支えてきたのです。ペルさんは「今日は日本からお客様が来ています」と私を紹介してくださいました。
聖体拝領も受けました(キリストの最後の晩餐の儀式)。教会の中に十字架の大きなのがないのが、唯一のプロテスタントらしさでした。
もう一つ、異郷でミサを受け、あらためて気がついたのは、日本の茶道のお手前はカトリックのミサにヒントを得たに違いないということです。
千利休が、当時の日本の国際都市であった堺でミサに出席する機会があり、聖体拝領を見て、
その一部の所作を茶道に取り入れたのだと思いました。 ミサが終わると、
信者の皆さんがコーヒーを飲んでいる姿が印象的でした。ミサを通して、昔のスコーネの人々を垣間見た思いがしました。
投稿者 :rumi | 2006年03月04日 06:40