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2006年03月01日
エスロブの歴史
2月24日(金曜日)
死にそうに忙しかったのが、この週です。今回の滞在の山場の、エバ・ オストンさんのインタビューが終わったのが昨日。しかし、今朝もインタビューが2つあります。 自分で決めたスケジュールだから仕方がないとしても、「たーいへん!」。今日はピープルズ・ ハイスクールと呼んでいる20歳を過ぎた人がもう一度学びなおす学校の前校長のエジ・クレボーンさんへのインタビュー。 ピープルズハイスクールは私が滞在している学生寮の学校です。
エジさんへのインタビューのタイトルはエスロブ市の歴史。今回は質問表を作らずに、 通訳のシーマさんに事前に私の聞きたいことを話しておいて、インタビューに臨みました。場所は市庁舎の会議室をクリスチーナさんが貸してくださいました。エジさんはたぶん60代後半から70代。 実はいつも必ず聞くようにしている年齢を聞き忘れました。エジさんのお話がとても楽しく、聞き忘れてしまったのです。 エジさんが開口一番に話したのが「僕はジャーマノヒという日本人を知っているよ。彼にルンドで会ったのは確か90年ごろだね。 彼は日本の高齢者ケアをもっと良くしたくて、スウェーデンに来いたんだ。そう、『世界の高齢者ケア』というようなタイトルの本を書いたんだ」 「政治家になったはずだよ」
ジャーマノヒ氏が誰かを当てるようなクイズのようですが、私は、エジさんの最初の一言で、 それは山井和則氏だとわかりました。このブログ、民主党の議員の山井氏の秘書の海野仁志氏にもお送りしています。 見てくださっているといいのですが、メールを別途お送りしなくてはいけませんね。エジさんはお元気です。ただ、奥様はお加減が悪いらしく、 それがエジさんの顔が時々暗くなる原因です。
下はエジさんが書いた成人学校であるピープルズ・ハイスクールの歴史の本です。 エジさんのインタビューのテープはまだ手付かずにいるので、詳しくは書けませんが、 エジさんは1937年にエスロブに越してきた少年時代に垣間見た、エスロブで農業が産業化していく話をしてくださいました。 スウェーデンやデンマーク、それにスイスなどは第1次、第2次世界大戦に参戦をしなかっただけではなく、農業を産業化して、農民が力を持ち、 現在の貧富の差の少ない社会を生み出した国のひとつ。デンマークもそのモデルでしょう。農民が農業で商売をしたのです。 その典型的な例がFELIXの話。 1938年にナチから逃れてきたチェコスロバキア人のFELIXという人のピクルスのサクセスストーリーです。 スウェーデンの南にあるスコーネはヨーロッパ大陸の窓口として、多くの外国人が入ってきて、そこで、 新しい風を吹き込んだとエジさんはいうのです。
生野菜の少ないスウェーデンで、きゅうりは育てることができる数少ない野菜の一つ。これに、 女性の社会進出が加わり、話が展開します。フィリックス氏は社会進出を少しずつ始めた女性たちが自家製のピクルスを作るのではなく、 商店で同じものを買えるといいと思いついたのです。これにプラスティックの発明が加わります。今も、 DOMOSというスーパーでもこのピクルスを売っています。ちなみにDOMOSは社民党系のスーパー。 女性の社会進出に伴い作られた労働者のスーパーです。しかし、最近はどうも高いという評判です。・・ということで、 この後のトマトケチャップの工場がエスロブに作られた話も含めて、エジさんは、たくさんの話を聞かせてくださいました。
投稿者 :rumi | 2006年03月01日 08:15