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2006年02月26日

エスロブのハローワーク

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2月21日(月曜日)
今日はエスロブにあるArbetsFormedlingen というところに行きました。Arbetsは労働という意味、つまり、 ここは職業安定所、ハローワークです。ここの所長さんのラルス・アンダーソンさんに移民の方の就労についてのインタビューをしました。 入り口は下の写真で、エスロブには平たい建物が多いのに、駅の近くにあるこのビルは縦長。10:00から開きます。 1階にあまり広くないロビーがあり、相談窓口があります。 事前に下見に行った時には10人ぐらいの人が情報をコンピュータで調べたりしていました。カウンターに座れるのは一人。 女性の係りの人が相談にのっている場面に出会いました。狭い
螺旋階段を4階まで上がるとラルスさんの部屋がありました。

「エスロブの失業率は4%」とラルスさんから口頭で伺ったのですが、統計資料で確認するのでお待ちください。スコーネ地方の資料によると、 スコーネの失業率は4,4%(ただし、2001年のもの。measures を加えると
6, 7%)。スウェーデン全体では3,5%(同5,8%)。数値の取り方に違いがあるので、簡単に比較できないと思いますが、日本では、 2005年12月の完全失業率は4,4%です。もっと、人数が多いような気がしますが。

スウェーデンの職業安定所の仕事は失業手当を支給することより、 職業訓練をして技術を身につけてもらい職業紹介をするという積極的な労働市場政策をとっています。話を聞いていると、 ラルスさんの仕事は、 彼がキャリアを積み重ねてきた教育との関係が深いことがわかります。彼はこの仕事に着く前は、 エスロブの教育を統括する仕事をしていたからです。

また、移民の多いスウェーデンでは、 ハローワークの仕事は、即、移民問題と重なります。ラルスさんは「人間は仕事があれば、 気持ちよく生きられるもの」と語ります。また、若者の失業率が高いことも課題のようです。 学校を卒業した若い人はテンポラリーな働き方やパートタイムなどでまず働きます。自分が目指す勉強を続け、 きちんとした職業につこうとしていますからです。「本格的な仕事につくのは30代をすぎてから」 というのが通訳のシーマさんの意見。20代は勉強勉強ということになります。

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移民、難民問題
ラルスさんは、 バルカン3国、 ソマリア、アフガニスタン、イラクから来る人が多いと答えました。ベトナム、チリ、ボスニア、コソボからの人もいると答えます。 エスロブの人口の17%が難民、移民の人々。これはスウェーデン全体の比率とほぼ同じということです。5人にひとりです。

「アメリカに多くの移民を送り出したことが、移民や難民の人々への理解につながりますか?」 という私の質問に、ラルスさんは「それも一つの理由です」と簡潔に語りました。実際、 私はサービスハウスで働くたくさんの難民の方々に出会いました。なかでも、バリア・ゴーデンという地域のサービスハウスでは、チリ、 パレスティナ、イラクの方々が働いているのを見かけました。彼らがアンダーナースの資格を取得して、 スウェーデンの人々と遜色なく働いている姿を見て、「これこそスウェーデン」と思ったものです。

難民が出始めたのは1989年のベルリンの壁に象徴される冷戦崩壊。地域紛争が多発したこと。 この状態は今でも続いています。多くの難民が生活しやすいスウェーデンを目指しています。外国人労働者受け入れの歴史は長く、 最初は移民から始まります。ロシア革命、ナチや共産主義から逃れた人々、 第2次世界大戦後の好景気における労働力不足により始まった積極的な移民労働者の受け入れ策に便乗してスウェーデンを目指したイタリアやオーストリアの人々などです。

ラルスさんの写真を撮り忘れました。こんど、付け加えます。 スウェーデンの雇用政策に関しては勉強が必要だと思いました。

2006年02月26日 06:11 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

3つのスーパー比較

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2月20日(日曜日)

今日は、終日、パソコンに向かっていました。これでは健康に悪いと思い外に出ると、トルホゴ- デンというサービスハウスで働いているレイナさんとご主人に会いました。エスロブは町が小さいので私のような短い滞在でも、顔見知りができ、 町を歩いていると誰かに出会います。買い物はないけれど、3つのスーパーを見て回ることにしました。これまではDOMOSオンリーでした。 が高いと評判なので、線路の向こう側まで足を伸ばしました。

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O&Bは線路をはさんで駅の反対側にある格安の店です。しかし、陳列しているものに魅力がなく、 案外すいていました。

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私が魅力的だと感じたのはICAです。デリカテッセンがいいし、 チーズもイタリアのものも含めて種類が多いし、肉も美味しそうに陳列をしています。魚は大田区の雪谷にある地元の魚屋の方が数段新鮮な感じ。 鰊を抜かし、スコーネの魚はぐったり疲れているようで利力に欠けます。ビジュアル・ マーチャンダイジングという商品の品揃えとその魅力を引き出す陳列方法がありますが、まさにICAはそれを地でいっています。というわけで、 この日、ついつい、買い物をしてしまいました。

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大いに贅沢をしたのが、ステーキです。といってもなかなか美味しそうな子牛の肉が330グラムで800円。2回、3回に分けて食べる量です。 パスタのトマトソースが一瓶216円。スバゲッティが500グラムで129円。フルーツヨーグルトが1リットルで245円。 オリーブの入ったクリームチーズが143円。ゴルゴンゾーラチーズがひとかけで490円。これに12%の食料品の消費税がつきます。 そんなこんなで贅沢をしたと反省をしました。 物価が低いのですね。

肉は美味しかったし、ゴルゴンゾーラチーズ、パスタのソースもなかなかでした。 1940年代にスウェーデンの経済成長とともに、2国間協定を締結したイタリー、ハンガリー、オーストエリアから移民が入ってきます。 そのおかげでイタリア料理はとてもスウェーデンではポピュラーです。今日はワインを開けて、ステーキとパスタにしました。カロリーが高そう! 下の写真は子供が子供用のカートを引いて、親の買い物についていることです。

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2006年02月26日 04:09 |  投稿者: rumi   |  コメント (1)

2006年02月22日

妻に先立たれても自立して生活を楽しむ

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2月20日(月曜日)
男のハウスキーピングは合理的。けれど、彼の場合は細かいディテイルまでエンジョイしている!そう感じたのは、ウッレ・ オルソンさん、77歳の家を訪ねた時です。彼は「男の料理教室」のリ-ダーです。お茶によばれたので、 午後2時にウッレさんの家を訪ねました。駅からすぐそばです。ダイニングキッチン、居間と寝室というペンショナー(65歳以上の年金生活者) が住む典型的なアパートです。掃除が行き届いていて、温かな空気を部屋に入った瞬間に感じました。クラシックの音楽が低く流れていました。 いつも音楽を聞いているのだそうです。「テレビはあまり見ないけれど、ビデオで映画は見るよ」 とダビングしたビデオのコレクションを見せてくれました

彼のハウスキーピングのすばらしさは台所の清潔感。調味料の洒落た並べ方だけを見てもわかります。料理好きな彼の台所は魅力的。 この調味料の上に古いクッキーや紅茶の缶が並んでいます。こちらでは懐かしい古い缶をのコレクションをしている方が多いです。 飾り付けに細かな神経が行き届いています。

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彼は料理が得意だけではなく手芸も得意。ウッレさんが私たちに見せたかったのは、プチポワンという刺繍です。 このプチポワン、オーストリアの修道女が昔やっていたもので、とても繊細な刺繍で技術が要ります。私が働いていた 銀座和光 ハンドバッグ売り場に、35年ぐらい前、 陳列していた本場オーストリアのプチポワンのパーティバッグの値段は35万から50万もしていました。 家庭を中心に発達したスウェーデン刺繍の大まかさとは違い、目が細かいのです。。糸の取り方に番号を振り、 彼なりの工夫をしているのが、上記の写真。

スウェーデンの画家が昔描いた絵を刺繍で再現したのが、下左の絵です。 糸と布と下絵がパッケージで売られています。これは出来上がりまで4ヶ月かかったそうです。ああ、 手芸が苦手な私はスウェーデンには住めない・・。スコーネの人々の手仕事へのこだわりはかなりです。器用な日本人が、戦後、 瞬く間に失った手芸、洋裁、手工芸が今もここに残っています。日本でも伝統工芸の職人さんには長寿の方が多いですが、 手仕事はボケ予防に最適。それに没頭していると、孤独感を忘れるでしょう。「女がすなる刺繍」 を男の沽券にかかるなどといわないでトライしている姿に感服しました。若い時にはもちろんやらなかったけれど、 亡くなられた奥様の手ほどきである時から突然始めたそうです。

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彼の趣味の範囲は広く、料理、お菓子作り、刺繍、木製の飛行機のプラモデル作り、カメラ、読書などなど。 読書に関しては「ブックミーティング」の10人で構成するグループを持っています。今はスコーネの歴史をみんなで読んでいるそうです。 同じぐらいの規模の女性のメンバーが多いグループがもうひとつあり、今年、5月に二つのグループ合同で、 今読んでいる本に登場するスコーネの町を訪 ねる小旅行を計画しています。

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「ひとり暮らしを淋しいと感じたことはありませんか」という私の質問に、「淋しいと感じたことはないよ。 ひとりでいたい時もあるし、アメリカに44歳の娘がいるんだ。エスロブには49歳の息子がいるしね」とたんたんと答えます。去年、 娘さんが住むアメリカのノースカロライナ州を訪問した時の旅行記が下記の写真のファイル。 文章と写真がセンスよく編集されています。

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1997年に妻がなくなり、妻をとても愛していたから本当に悲しかった。しかし、ためらうことなく、 すぐ家を売ってここに引越す決断をしたといいます。子供たちが驚くほど早く、今の環境を作り出したそうです。 自分は誰にも依存しないで生きていると語ります。毎日を忙しく、健康に、ストレスを避けて過ごせればそれで十分だと思っているそうです。

この日、通訳をしてくれていたシーマさんが言いました。「子供への最大のプレゼントは親の自立ね」。印象的な言葉でした。 エスロブの元気な高齢者は、自分の人生の意味「ミーニング・オブ・ライフ」を自ら探し出し、忍耐強く行動していると感じました。 日本では高齢者の一人暮らしを危惧する向きがあります。高齢化社会を支えるものは「人に依存しないで生きる」 「ひとりの時間を豊かに過ごせる」この2つだと実感しました。ウッレさんは、
毎朝、鏡を見て自分で自分に「おはよう」と語りかけて一日を始めるそうです。

彼を物語っているのが、下記のノートの記録。
1962年から、 お天気と気温を一日も欠かさずに記録しているそうです。シーマさんと驚きの声を上げてしまいました。 何でも小さな積み重ねが価値を作り出すのですね。

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2006年02月22日 01:46 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年02月21日

窓からの眺め

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2月18日(土曜日)

上記は晴れた初秋の日に撮ったあるサービスハウスの部屋の写真です。 この部屋の主人公の71歳の女性と私は、去年、とても仲良しになりました。 何度も遊びがてら彼女の部屋を尋ねたものです。彼女は、ケアを受けるにはまだ若すぎます。絵描きだった愛する男性が亡くなり、 その喪失感がら立ち直ることができずにいるうちに、心臓の発作を起こし、一人暮らしが無理になしまりた。 2人のお嬢さんが毎日のようにお母さんに会いにきます。お孫さんの写真も飾ってあります。早く、彼女に会いたいと思いながら、やっと、エスロブについて16日目に会えました。秋に帰国する時、 私は彼女が昔描いたという絵をお土産にいただきました。私の宝物です。

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昔、彼女が描いたというその絵は、不思議と彼女の部屋から見える風景に似ています。
そのサービスハウスは、日本の特養から見たら夢のような環境です。でも、空気が動いていません。私は彼女の部屋にいると、 時間がここでは止まっている錯覚にとらわれます。テレビのスイッチも入れず、音楽も流れていません。 ケアをする人がお茶の時間やお昼を持ってくる以外は人の出入りが少ないのです。2LDKの自宅に近い環境を再現しているにしては、淋しい。 ひとりで過ごす時間が長いのです。日本のようにかまうということが少ないかもしれません。

気がつくと、スウェーデン語が話せない私も、彼女がよく眺めるように、首を窓の方向に向けています。 秋は大きなポプラの木が黄葉して、丘を吹き抜ける風にスローモーションのような動きで梢を大きく揺らしていました。 彼女はいつも飽きることなくその動きに見入っていました。老いるのは大変だなと思ったものです。

ケアが必要になるということは、自分から能動的に生活の雰囲気を作り出せなくなる。落ち込むことなのでしょう。 この美しい部屋にはいつも悠久の時が流れています。この日、彼女の住むサービスハウスまでは、 こんな写真のような雪道を歩いてきました。そして、気がついたら、7時近くなっていて、帰りはこんな暗い道を歩いて帰りました。

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2006年02月21日 14:03 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年02月18日

エスロブの経済行政はまかせて

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2月17日(金曜日)

これがエスロブ市の市庁舎のエントランスホールです。いつも、作家物の展覧会が開かれています。 この日は絵が展示されていました。今日、午前10時からインタビューをするのは、イヴァン・ヒットラーさん。 エスロブ市行政の経済担当責任者です。なんだかいかつい名前でお会いする前から緊張していました。統計的な資料が欲しいので、 日本であらかじめリストアップしていたのを、英文でまとめ直すのに約3日かかりました。質問表作りも大変でした。 この日からスウェーデン語を英語に訳す通訳を頼むことになった、インド系イギリス人の精神科医のシーマさんが、何度も訂正をしてくれ、 何とか、事前に質問を渡すことができました。

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彼とは何度か前に会っていました。 上の写真は去年の4月に初めてエスロブに来た時のもの。市庁舎のレストランでお昼をいただいた時の写真です。左から2番目が彼。 この時の印象と違い、イヴァンさんは実に楽しい人でした。通訳のシーマさんが優秀なので、2倍も仕事がやりやすくなりました。 スウェーデン語の資料を訳す仕事も彼女が買ってでてくれました。通訳業が彼女の本来の仕事ではないので、格安の価格です。 翻訳の仕事は重要ですが、訳してもらう量が多いので、経済的にも救われました。

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イヴァンさんのユーモアのある回答の中でも印象的だったのは、 エスロブがこの10年、経済的に安定している、その原因を教えてくれた時です。「ワイフが上手に家計のやりくりをしてきたからでしょう」。 「というと」と聞く私に彼は原因は2つあるとさも簡単そうに答えました。「1つは元気な高齢者をあまりお金をかけないで増やしてきたこと。 介護の経費が節約できました」「2つ目は、介護職員の仕事への意欲を高めてきたことです」。

2つ目の答えは、 スウェーデンでは長期の病欠者が多いのが問題になっていました。病気で休んでも社会保障が完備しているので、首を切られることなく、 給料に近いお金が保障されるからです。2005年から、その保障の15%を市が負担することになりました。それでなくても、介護職の場合、 病欠者がでると、すぐに、その代わりの人が派遣されます。ピンチヒッターの給料もままにはならないわけです。仕事が楽しければ、 休む人も減るというわけです。エスロブでは介護職の人の帰属意識が高いような気がしました。例えば、 ヴィンセント君のお母さんのカメラさんは、普通の企業で働く方が給料が高いけれど、私は介護の仕事が好きだから、この仕事を選んだのよ」 と答えました。いかに職員を動機付けるかが経済的な安定をもたらしたのです。

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趣味はハンティングというアウトドアー派のイヴァンさんは52歳。 皮膚の艶がよく、改めてきれいな男性だと思いました。若い頃は金髪で青い目のいかにもゲルマン民族という感じだったのではないでしょうか。 「エスロブ市は住民から信頼されていると思いますか」の質問に、「信頼されていると思います」と当たり前のように答えました。 無記名のアンケートの結果だそうです。

 

2006年02月18日 07:19 |  投稿者: rumi   |  コメント (3)

2006年02月17日

ゴミ処理問題

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2月16日(木曜日)

白百合女子大教授の長島世津子先生から、さっそくにいただいたメールに、 「ごみ処理はどうしているのですか」というご質問がありました。上智大学の長島正先生の奥様です。 ご夫妻は近所に廃プラスティック中間施設が作られることに対して、熱い住民運動を展開なさっているそうです。 詳しくは世津子先生のホームページの「廃プラ問題」をご覧ください。 公共セクターがいかに住民の側に立っていないかということを痛切に感じる内容です。本来なら、 行政が率先して取り組む問題ではないでしょうか。私たちがセルフヘルプをしているのは、やはり、 行政が動いてくれないからではないでしょうか。

長島世津子先生のホームページ http://setsuko.net/

最初、私は家庭でのごみ処理に関しては、 エスロブより日本の方がまじめに取り組んでいるという印象を持ちました。しかし、この「まじめ」もよく考えると、 ただまじめに分別しているだけのこと。

日本の問題は、最近、プラスティックゴミの量がエスカレートしているのに、私たちが鈍感である点です。 わが家の近所の「燃えないゴミ」の日の量は莫大です。これは、いかにプラスティックを生産する会社が儲かっているか。 スーパーが公共的な視点を失って、安易にプラスティックを使用しているか。環境破壊をコントロールするはずの、 公共セクターである行政の視点がずれているかです。日本では資本主義が野放しになり、 社会をコントロールする倫理観が薄れているのはないでしょうか。

長島世津子先生、一度、市庁舎に問い合わせてみます。イギリスでは草の根の住民運動が盛んだそうです。 本当に豊かな生活は、欧米高級ブランドに囲まれた生活でもなく、自分だけ理想的名生活をすることではないのでは。 スウェーデンなどの国々が近代化の中で進めてきた社会改良運動を日本が怠ってきた結果が今の社会ではないでしょうか。 社会を良くしていくことに、生産年齢人口である私たちが時間を割いていかないと、 次の世代が迎える社会に悲劇が待っているのではないでしょうか。長島先生ご夫妻を見習おうと思います。

 

2006年02月17日 21:59 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

いのちづな

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2月16日(木曜日)

私のいのちづなは「スカイプ」です。 それは私のたった一人の家族である夫と毎日30分話ができるからです。その日に来た手紙や電話、請求書などを夫が教えてくれます。 私の方は晩御飯のおかずの工夫をアドバイスをしています。つまらない会話ですが、話ができることで孤独感が解消されます。 皆さんもスカイプを使いませんか。

スカイプはスウェーデンで発明されたパソコンを使った電話です。 このヘッドフォンをつけてパソコンで電話のように話ができます。ただし、お互いにパソコンがオンになっていないと使えないので、毎日、 翌日の時間を決めます。ADSLを使えるこの学生寮だとスカイプが便利です。そして、30分話しても無料。これが最大の利点です。 スカイプは普通の電話にも、接触できますが、こちらの方は有料です。携帯電話もドコモだと高いので、ボーダフォンを使い、日本との通信、 こちらでの通信に使っています。星名麻衣子さんもスカイプを入れたので、雪の日などはスカイプでお互いに連絡がとれます。

スカイプを私に勧めてくれた半田正浩さんに感謝。そして、 このブログを作ってくれた理学療法士の友清直樹さんに感謝。二人とも20代のハンサムな青年です。

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もう一つのいのちづなというより、大切なものは、この40本近い録音テープ。 こちらの皆さんにインタビューをしたものです。テープ起こしがまだ全部できていませんが、聞きなおしてみると、いろいろな発見があります。 テープの隣が項目ごとに整理した資料と10冊近いノート。ノートにはその時々の簡単なメモが入っていて、できるだけ、 早くパソコンに文章化して記録しています。

本はあまり持ってきていませんが、高島昌二さんや岡澤憲芙さん、故外山義さんの 「クリッパンの老人たち」、訓覇法子さん、山の井和則さん、武田龍夫さんのスウェーデン史、大岡頼光さん、集英社新書の「貧困の克服」、 昨年、山陰のシンポジウムにご一緒したフランスの地理学者であるオギュスタン・ベルクさんの「風土の日本」、ラフカデオ・ハーンの 「日本の面影」、神谷美恵子さんの「いきがいについて」などです。特に神谷さんのいきがいについてはハンセンシ病の方々にインタビューして、 考察したすばらしい本で私の座右の本です。そういえば、デンマークについて書かれた本ですが、大熊由紀子さんの「寝たきり老人のいる国、 いない国」も私に北欧への窓を開いてくれた本です。

写真は部屋にぬくもりを作ってくれるので、大切に飾っています。

 

 

 

2006年02月17日 21:15 |  投稿者: rumi   |  コメント (2)

KARIDALの男の料理教室

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2月15日(水曜日)
昨年は施設ケアの取材に明け暮れましたが、今年は元気な高齢者の取材がメインです。ということで、 今日は高齢者のアクティビティの家として知られるカリダールに取材に来ました。男の料理教室です。 道に面したカリダールの建物に入ると中は下の写真のように2階建てのアパートが並んでいます。 ここはサービスアパートと呼ばれているところで、ひとりで暮らすのに不安を抱えた方が入居していて自立した生活をしています。その皆さんが、 遊びに来るのが正面の入り口から入るアクティビティの家です。ここで、実に活発な高齢者の自主活動が行われています。 アクティビティにあたる職員はフルタイムの勤務がアグネッタ・ノーランドさんと50%勤務のアンブリッドさんの二人。アンさんは 「男の料理教室」の先生です。毎月第1水曜日に行われていますが、今月だけ、第2水曜日です。

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ちょっと、遅刻をして部屋に入ったら、メンバーがすでにそろっていて、 始まる前のコーヒータイムを取っています。こちらの人はコーヒーが好き。朝はコーヒーブレイクから始まります。 去年来た時は台所が仮ごしらえだったのですが、去年の秋の改装でこんなに素敵なダイニング・キッチンができました。男性に囲まれているのが、 先生のアンさん、赤いセーターの男性がリーダー格で一番若い77歳のウッレさん、アンさんの右が80歳のアンドレさん。 その隣がインド人系イギリスの精神科医のシーマさん、カリダールにはボランティアでよく来ています。シーマさんの隣がボーリアさんで81歳。 手前が前回にはお会いしなかったレナートさん。皆さんからボスといわれているスティグさんは、今日はシャラオカに診察に行っているので、 12時ごろに食事にだけ参加です。

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今日のメニューは「Falskanka」  Falskは不正。Ankaはアヒル。安いポークで高いアヒル料理を偽ったもの。「ガンモドキ」ならぬ「アヒルもどき」です。 ポークは1,5キロで88,9クローネ、約1300円です。安いなあ。にんじん、たまねぎ、トマト、プルーンと一緒にオーブンで焼きます。 アリストスという付け合せのじゃがいももボイルします。デザートのコンポートはアンドレさんが脇役料理をまかせてとばかりに担当。 レナートさんはジャガイモの皮むき。にんじんの皮剥きはボリアさん。肉は料理上手のウッレさん。みんな仲良く、息があって、 自然な役割分担で調理が始まります。無口は男性が多いけれど、アンさんの明るい笑い声がたのしく響きます。 シーマさんは控えめに洗い物を手伝っています。

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さて、出来上がったお料理が下の写真です。これがおいしかった。本当に豚肉? というがうほどアヒルの味、といっても北京ダッグしか食べていませんが。テープルセッティングをして、みんなでテーブルに座ります。 私もゲストとしてご馳走になりました。スティングさんも帰ってきて加わります。

何より楽しかったのは会話。料理の先生でもあるアンさんが場を盛り上げます。 実はこの男性たちはみな一人暮らし。奥様に先立たれた方たちです。お互いが味わった喪失感を知っているから、 いたわりの気持ちがここに流れています。メンバーはこの料理教室を通じて知り合い、仲良しになり、普段もお互いに行き来をしています。 最後に材料費を仲間で分担します。アンさんは市の職員なので給料は市からでています。台所も市が提供。ただし、材料費は自己負担。 この合理性が優れていると思いました。

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2006年02月17日 08:35 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

朝のささやかな食卓。

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2月14日(火曜日)

これが朝の食事です。いちばん気に入っているのは「麦のおかゆ」いわゆるオートミールです。 テーブルの右に置いてあるのがその袋で、スーパーに行くとたくさんの種類がならんでいます。 スコーネはスウェーデンの中で農耕地に恵まれている地域です。地平線まで肥沃な土地が広がり、秋には麦畑での収穫が見ものです。 下の写真は昨年9月1日にビリンゲというエスロブ自治体に含まれる農村の写真。ロールが転がっているのは、麦の束をまとめたもの。 壮観な風景でした。こちらの人にとって麦は生活に密着しています。この麦粥がおいしい。お腹にもいいし、癌の予防にもなるそうです。 夫の姉の夫のポンチャンと親戚から呼ばれている義理の兄は、私が渡したこのオートミールが気に入っているそうです。 ブルーのがおいしいと聞きました。こちらの「ソールフード」なのでしょう。

1860年から1930年にかけて、寒冷地スウェーデンでは農作の不況が続き、飢餓が生じて、 アメリカに130万人もの人々が移民しています。当時の人口の4分の1にあたる数です。日本人が、戦後、アメリカから仕入れた 「オートミール」という食べ物はこのスコーネの畑の麦が始まりではないかしら。ただし、移民の大半は土地が肥えていない、 スコーネの北のスモーランドかららしいです。スウェーデン出身のハリウッド女優イングリッド・バーグマンが、アガサクリスティの 「オリエンタル急行殺人事件」の映画にでるけれど、この小説のストーリーもスウェーデンのアメリカ移民がからんでいます。そういえば、 スウェーデン人の苗字もアメリカ人と似ている。アンダーソンさんなんてその典型。これがデンマークになると、 人魚姫のアンデルセンになります。

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コーヒーもおいしいです。 東京の私の家の近所でコーヒー豆を焙煎して販売しているコーヒー博士の細山さんから、スウェーデンのコーヒーはおいしいと聞きました。

お皿のグリーンはブロッコリー。冬はこちらのスーパーでは野菜の種類が実に少ない。今でも、 お年よりは生野菜を食べない人が多いと聞きましたが、もともと、野菜を作っていないのです。ビタミンの供給源としているのが、りんご。 日本の品種改良されたりんごとは大違いの、やせた小さなりんごが、何種類も山のようにスーパーで売っています。だいたい、 こちらの人は庭にりんごの木を植えて、りんごは買わないという人が多いです。食卓の青いりんごはシシリア・リンド市長からいただいたもの。 たった1つですが、まだ、食べられない貴重品。

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ついでながら、この写真は2004年に始めてスウェーデンに来た時に、 ストックホルム近郊のシグチューナというバイキングの遺跡がたくさん残っている小さな町で写したもの。小さな美術館のりんご祭りの写真です。 実にたくさんのりんごが飾られていました。また、何にでも、赤い実のジャムをかけて食べるのがスコーネ流。 リンゴンとよばれているコケモモの1種です。ケーキにも、肉料理にも、自家製のリンゴンジャムが、 スウェーデンの人々の郷愁を誘うソールフード。

牛乳も種類が多く、写真の牛乳は3%と書かれたものですが、40%というのもあります。 パックが小さいのは、学生寮の、共同で使う冷蔵庫に大きな牛乳パックを入れておいたら、誰かに飲まれたらしく、 持ち上げたら軽くなっていたので、小さいのに切り替えたのです。ついでに卵の6個入りをおいておいたら、2個なくなっていました。ちょっと、 感じが悪いできごと。

2006年02月17日 07:38 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

エスロブは教育に特化する町

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2月13日(月曜日)

今日も緊張する日となりました。 エスロブ自治体の行政のトップへのインタビューがあるからです
上の写真は昨年の4月に初めてエスロブに来た時に撮った写真。この日、私以外にも服部尚さんという、 大分県にある「太陽の家」という障害者の施設で働いている男性が来ていて、2人で市庁舎訪ねたので、 日の丸がエントランスに掲げられたのです。クリスチーナさんが気を効かせてくれたのでしょう。4月の晴れた日の写真です。

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この写真は、現在の2月の写真。市庁舎に向かう時に写したルーテル教会の写真です。 乳白色の霧が立ち込めていました。10時という約束の時間より早く市庁舎に着いて、1階ホールのベンチに腰掛けていると、 クリスティーナさんが2階から降りて来てくれました。同時に、ホールの脇のレストランから、 朝のコーヒーブレイクをしていたらしい黒のタートルのセーターを着た感じのいい男性が出てきて、私に握手を求めました。それがエジ・ リングボーンさんです。

エジさんは2000人のエスロブ市職員のトップです。 人数が多いのはケア部門で働く介護者などもこの数字に含まれているから。シシリア・リンド市長は政治家のトップ。エジ・ リングボーンさんは行政のトップ。彼の仕事は、政治家の作った4年間のプランを実現する仕事。スウェーデンでは、「行政と政治」 の役割分担が明快です。

「将来に向けた、あなたの教育、福祉、住宅問題の展望は何ですか」という質問対し、 「展望を語るのは政治家の仕事。私は政治家の立てたプランを形にしていくのです。私が答えられる質問ではありません」 という答えが返ってきました。スウェーデンでは、4年に1度の国と県と市の選挙の前に、政党が政策を発表。選挙民は政策で政党を選びます。 比例代表制です。選挙が終わると、それから4年間は、その政策に沿って行政が運営されます。日本の場合はどうでしょう。 政策で投票をしているかと聞かれたら、私は「はい」とは答えられません。そういえば、市庁舎には野党であるブルジョワ保守政党の 「もう一つの執行部」の部屋がありました。

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エジさんは、シシリアリンド市長に比べ実務家という印象。 彼は1974年に学校の先生としてのスタートを切りました。その後、船乗りになり世界を旅して回ります。東京にも来ているそうです。 スウェーデンに帰ってからは、大学で法律を学びなおします。エスロブの隣の町、古都ルンドで「教師を育てる学校の先生」 をして7年間しましたが、その後の大半はエスロブで過ごしたそうです。市の職員としては文化部を担当して長く、 難民の関係の仕事も長くしています。その後、「アッパー・セカンダリースクール」という専門学校を統括する責任者となります。 中学を16歳で卒業してから行く学校です。また、スウェーデンでは大人の再教育の場も開けています。 それは同時に外国人や難民がスウェーデン語を学び、職を得る職業訓練の学校でもあります。アッパーセカンダリースクールは、 市が責任をもち運営しているのです。

エジさんはこの地位に着いてほやほや。1ヵ月もたっていないという話です。 土地に余裕のあるエスロブは、EU諸国へのアクセスがよく大きな工場がここを生産の拠点にしていましたが、 最近では人件費の安いポーランドに工場が移ることが多いそうです。これから、エスロブは文化と教育に特化していくそうです。 教育肌のエジさんがこのポジションについた訳が理解できます。学校もこれから新設するのではなく、 現在の教育資源を伸ばしていくという話です。エスログは学校が多い町です。専門学校については後日レポートします。 「休日にはお父様の家を訪ねて、アコーデオンを弾くのです」と語った時、エジさんの落ち着いた表情が楽しそうな素顔になりました。

2006年02月17日 06:30 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年02月15日

ヴィンセントのおばあちゃん Vincent’s gland mother

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2月12日(日曜日)
昼12時、ヴィンセント君とお父さんのウルフさんとお母さんのカメラさんがまた車で迎えに来てくれました。今日はエスロブから車で30分の、 マルモ近郊のカメラさんのお母さんのウニさんの家に連れて行ってくれるのです。ウニさんのご主人のペールさんは牧師。二人は、 6000平米の土地に106年前に建てられた牧師館に21年前から住んでいます。この村には家が5軒しかありません。 居間の窓から教会と雪のスコーネの平原が見えます。ヴィンセント君は赤ちゃんの時ここで洗礼を受けたそうです。

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とはいえ、ドイツなどに比べ、スウェーデンの人々はあまり宗教的に熱心ではないという印象があります。 スウェーデンの王様の中の王様といわれるグスタフ・ヴァーサ(1496年~1560年) はスウェーデンをデンマークから開放独立するとともに、国の宗教をローマンカトリックから分離して、プロテスタント・ ルーテル派の新教国として改宗独立しました。窓の外に見える教会は12世紀の教会なので、最初はカトリックの教会だったのです。 スコーネの広大な平原にはこのサイズの教会や200あまりのお城が点在しています。館という感じの小規模なものですが、 デンマークとの戦争の中で要塞として建てられたものです。ペールさんはお母さんのカメラさんのステップファーザー。ペールさんの祖先は、 風雲児と呼ばれた武人のカールヨハン12世(1682年~1718年)の重鎮であったことが、この家に飾ってある絵でわかりました。

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廊下にはこんな絵も。お説教をするペールさんと、オペラ歌手だったウニさんが賛美歌を歌っている写真。 友人が描いたユーモアな絵です。ウニさんは歌うような声の持ち主。 私が感心したのはこの大きな家を誰の手も借りずにウニさんがハウスキーピングしていることです。掃除が行き届いていて清潔。 センスのいい暮らし方だと思いました。食糧貯蔵庫や地下の洗濯室も見せてもらいました。 小さな洗濯屋さんといえるぐらいの機械が完備していて、ワイシャツもシーツもすべて自宅でアイロンかけまでするのだそうです。下の写真は、 椅子のカバーを縫う部屋の写真です。「安い椅子を買ってきて、自分で好きなカバーに替えるのよ」と教えてくれました。

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この日、私はお昼をご馳走になりました。「スウェーデンの典型的なお昼よ」と出してくれたのは、 賽の目に切ったジャガイモとソーセージをオーブンで焼いたもの。それに目玉焼きとハーブバターが滲んだフランスパン。 こちらのジャガイモはおいしい。ケチャップをかけて食べました。「卵はアップサイドダウンとアップサイドとどちらがいい」 とカメラさんから聞かれ、意味がわからなかったのですが、両面焼きがいいかと聞かれたのでした。こちらの人は半熟卵が苦手なのでしょう。

私のカメラさんをおばあちゃんの家に置いて、 お父さんのウルフさんとヴィンセント君はマルモにヴィンセント君の拳法の進級テストを受けに行っていました。お父さんは、 次男のルードヴィッヒ君の柔道や末娘のフィリッパちゃんのフットボールの時も、いつも、子供たちを車で送り迎えしています。 子供たちはお父さんをとても尊敬しているのです。もちろん、お母さんのカメラさんも大好きです。この日、 ヴィンセント君は星を一つ取ったと行っておばあちゃんの家に帰ってきました。お父さんとヴィンセント君がお昼を食べ終わると、 おばあちゃんのピアノでヴィンセント君がピアノを弾いてくれました。これが上手。 ウニさんはお父さんに自分の友人をピアノの先生として紹介したいという提案をしていました。

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2006年02月15日 07:26 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年02月12日

チキンのマスタードクリームがおいしかった

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2月10日(金曜日)続き

馬車小屋の店で少し買い物をした後は、ヴィンセント君の家で夕食をごちそうになりました。 スウェーデンのママは働いているので手をかけた料理をすることが少ないようですが、カメラさんはお料理上手。 今日のメニューはチキンのクリームマスタード。鶏のもも肉が2キログラム。それに写真の大きさのフレッシュクリームが5パック。 フレンチマスタードとブイヨンにさらに料理用の生クリーム(グリーンのパック)を2パック。

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最初にチキンにマヨネーズ?をかけてオーブン220度で20分焼きます。これを耐熱皿に移して、 生クリームをミックスしたソースをかけてまたオーブンで焼きます。出来上がりが3つ目の写真。この日、 末っ子のフィリッパちゃんの幼稚園時代からの幼友達が泊りがけで遊びに来ていました。この2人、何を見てもおかしくてしかたがないようで、 台所で二人で食べながら、絶えずくすくすという笑い声が聞こえます。スウェーデンでは子供同士がこのように他所の家に泊まり、 他の家を知ることを奨励しているという話です。

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デザートはレモンのババロア。生クリームたっぷりとアイスクリームにレモン汁。 甘さは抑え気味でっても上品な味。デザートまで作るのだから忙しいカメラさんは偉い。 クリスマスの時には大きなジンジャーの家も作っています。ところで、この日、 私の服装はアンダーシャツに木綿のトックリのシャツに毛糸のセーター。しかし、PERSSON家の皆さんは、家の中では半そでTシャツ1枚。 ヴァイキングの末裔の彼らの体感温度は違うのですね。私は日本では年の割りに薄着の方なのだけれど。今日も、 学生寮の学生さんは日中ノースリーブで日光浴をしていました。

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2006年02月12日 08:17 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

馬車小屋を改装した郊外の店

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2月10日(金曜日)
今日は朝からシシリア・シンド市長のインタビューのテープ起こしをしていました。午後4時に、ヴィンセント君のママのカメラ・ プレソンさんがパパのウルフさんとヴィンセント君の3人で学生寮まで来てくれ、「面白い店があるから行かない」と誘ってくれました。 カメラさんとは英語で話すのですが、彼女と話していると、日本語を喋っている錯覚にとらわれるほど、心が通じ合っている気がします。 金曜日の午後はリラックスする時間です。連れて行ってくれたのは、 旧市街にある学生寮から20分も車を走らせFlyingeエリンゲというところ。スコーネにはお城が多いのですが、 ここにも美しい古城と王様の教会があります。1835年に建てられた王様の馬車小屋を5年前に買い取り、 改装して鄙びてしゃれたガーデニングとインテリアの趣味の店になっています。

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店の名はVasrta Stroo 39。住所が店の名前になっています。 aとoの頭には点が2つつきます。何て読むのか、カメラさんに聞きなおそう。

オーナーのレイナ・ゲネバックさんが自分の趣味で集めたり、自分で作ったものを店に出しています。 「この店は長靴下のピッピが欲しい物を集めた店よ」とレイナさんはギフトの包装をしながら、語りました。長靴下のピッピの作者のリンド・ グレーンはスモーランドの生まれだけれど、彼女のセンスはスコーネの人も大好きなようです。シンボルマークはトンボ。 「秋になるとトンボが肩にとまるでしょ」。店にあるものは、どれも素朴だけれど、センスがいい。 私は木綿の布で作ったウサギが可愛いと思いました。

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2006年02月12日 07:42 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年02月10日

ミュージックセラピーの勉強会

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2月9日(木曜日)

エスロブ市のカルチャセクション(文化促進部)主催の「ミュージックセラピー」の勉強会があると、 クリスティーナさんに誘われて、星名麻衣子さんと出かけました。場所はBerga(バリア)という地域にあるアッパー・ セカンダリースクール(専門高校)の階段教室です。学生寮のある旧市街と鉄道線路をはさんだ反対側まで、 霙の降る中を麻衣子さんと20分ほど歩きました。クリスティーナさんの案内で遅れて教室に入ると、入り口に座っていたのが、 マルガリータさんというこの学校の校長。よく見ると、去年、顔見知りになった介護職の皆さんがたくさん参加しています。入場無料。

講師はビルギッタ・アンダーソンさんという日本にも来たことのある音楽療法士。 お茶の時間の20分をはさんで、2時間30分あまりの講義です。いや、講義というより、その語り口はエンタティなーそのもの。 舞台を見ているようでした。内容はクリスティーナさんが小声で同時に英訳してくれるのをメモに取ったのですが、理解できたのは半分以下。 しかし、肝心な点はつかめたのではないかと思います。とにかく、ある高齢の男性は・・とか、あるレディは・・、 というように実例が盛りだくさん。私がつかんだことは、1つは、高齢者にとって、音楽は深いインナーフィーリングに触れるものである。 2つ目は音楽療法には認知症の人々への深い理解から始まるということ。たとえば、グループホームでの無言の朝食のテーブルを変えるのが歌。 高齢者は朝のテレビのニュースなんて見ませんよ。それよりも、若いころに聞いた歌をう一緒に歌ったらどう。歌が鍵になり、 記憶の扉をあけるんです。

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圧巻は、ビルギッタさんが94歳の男性と歌っている録音テープ。 スウェーデンの古いプロポーズの民謡です。「ねえ、私に指輪を買ってくれる♪~」「~ああ、もちろん、いいよ、もちろんだよ♪」 というような会話のようなやり取りです。彼はセクシャルな会話をよくしたので、歌でこれを受け止めたそうです。翌朝になると、 彼は昨日のことを忘れて同じ歌を繰り返しました。そして、数週間後、彼はブリギッタさんの手を握り、この歌を口ずさみながら、 亡くなっていったそうです。そう、音楽療法はターミナルケアに深く関係しているのですね。

それを教えてもらったには、日本の音楽療法士の曽根恵美子さん。 彼女は日本の死生学の大家上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン神父さまの「生と死を考える会」の会員でもあります。 実は、私たちのホスピタリティ★プラネットという温かなケアの勉強会では1月26日に、 曽根恵美子さんの講演会をしました。もう、 20年もこの仕事をしていらっしゃる曽根さんはビルギッタさんと同じように現場での数々の深い経験を重ねています。 高齢者の方々とのエピソードも心を打つものでした。 曽根さんはあるディケアの音楽療法を通して知り合った高齢な女性が死に向かう病院のベッドに何度も通いました。そして、たとえば、 そのご婦人が女学校時代を過ごした函館を偲びながら、「雪の降る町よ~」などの歌を静かにハミングしたそうです。 明治学院大学の南ゆう子さんがこの会のテープお越しが完了したというメールを今朝くださいました。エスロブ出発前に聞いたいいお話でした。 ちょっと長いブログでした。

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2006年02月10日 07:53 |  投稿者: rumi   |  コメント (1)

2006年02月09日

カリダールのTHINK TALK WALK

2月8日(水)続き

1時になると、レストランの入り口のテーブルでポーカーらしきカードを始めるご婦人たちがいました。 平均年齢はたぶん、80歳に近いでしょう。先ほどまでテーブルで静かにお昼を食べていた車椅子のご婦人もこの中にいます。 5人のグループです。一人の方が点数をノートにつけ、誰もの表情は真剣そのもの。また、壁をはさんで、男性たちがビリヤードを始めました。 ビリヤードはある世代の男性たちにとってたまらなく面白いゲームのようです。また、昨年秋の改装で新しくできたダイニングキッチンでは、 手芸のグループが小さなタピスリーを織っています。私が一人で遅いお昼を食べていたら、このカリダールでフルタイムで働いているアグネッタ・ ノーランドさんがコーヒー茶碗を片手に私の隣に座りました。「私はいい雰囲気を作り出すお手伝いだけ。すべて、 皆さんが自分たちで小さなグループを作って運営しているの」。「1970年に私が仕事を20歳で介護職として働き始めた時には、 私たちは高齢者の方に『これをしてください』とやることをこちらで決めたものです」。「大切なことは、皆さんが自分で考えて選び、 仲間と語らい、町を歩くこと」。アグネッタさんの熱い思いが私に伝わってきます。

突然ですが、私はまったく同じような光景を今は町名が変わった秋田県鷹巣町の、町の真ん中にある「元気ワールド」で見ました。 鷹巣町の岩川徹元町長が作り出した民主主義を軸とした高齢者福祉の姿には、希望が広がったものです。なぜ、鷹巣市民は、 自らの手でその可能性に封印をしたのでしょう。岩川元町長が反対派の工作で町長選に落ちた時は、この耳を疑いました。 元気ワールドを運営していた皆さんはどうしているでしょう。

 

2006年02月09日 03:33 |  投稿者: rumi   |  コメント (1)

カリダールという高齢者の集会場のレストラン

2月8日(水曜日)続き

今日は、ベチヤベチャの道を歩いて、カリダールという高齢者や介護を担う家族が集まる集会場に行きました。去年、 エスロブを発つ時に改装をしていたので、様子を見に行ったのです。もちろん、仲良しになった、ここで働くアグネッタさんやアンブリッドさん、 ここに来ているはずのシーマさんに会えるという算段がありました。写真のかわいい子どもたちは、幼稚園から、 カリダールのレストランにお昼のために来たようです。シーマさんと私が話していると、興味深げに集まってきたのです。ここのレストランには、 ハンディキャップの人たちも、近所の作業場からお昼にきます。

改装されたレストランには16の四角い6人がけのテーブルに、 トランプをする2つの丸テーブルがあります。下の写真はここの常連たち。黒いポロシャツに白いパンツののスティングさんは、 隣接したサービスアパートに奥様が亡くなられた2000年から住んでいて、毎日、ここに食事に来ます。おかしいのは、男性は男性で固まり、 女性は女性のグループができていること。カップルで来ている方もいます。1時少し前になると三々五々自宅に帰ったり、 玉突きやカードなどのゲームを始めるために、人が減っていきます。ここまで歩いて来るのが大変な方には、時間になると、 送り迎えだけの介護者が現れます。みなさん、自分の歩行補助器具を使い、玄関に待つ送迎のタクシーまで歩いていきます。

 

2006年02月09日 01:48 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

雪の日のブーツ

2月8日(水曜日)

こちらのお天気は雪と晴れ間を繰り返しています。到着した数日は抜けるように透明な青空から凍えるような空気が降りてきていました。 道路は乾いて完璧な除雪と感心していました。問題は月曜日、朝、窓をあけたら、道路は真っ白。すごい雪です。 介護を担うアンダーナースの専門高等学校の先生に会いに、約30分、漂白した小麦粉をまき散らすように降る雪の中を歩いたのが、このブーツ。 日本製です。実はこのブーツ江尻菊子さんのブーツです。日本を発つ数日前、「雪靴を買いに行く時間がないの」と喋った私に、 母校の集まりでお会いした江尻菊子さんは「このブーツはどう」とその場で推薦してくれ、神奈川県藤沢市の靴屋さんに探しに行ってくれました。 結局、同じものがなく、自分のを私に宅急便で即日送ってくれました。驚くほどの優れもの。雪の中を30分歩いても表面が乾いているし、 雪解けのビチョビチョの道を歩いても、平気のへの字。足の裏に菊子さんのぬくもりを感じながら、エスロブの道を闊歩しています。

 

2006年02月09日 00:40 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年02月08日

シシリア・リンド市長にインタビュー

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2月7日(火曜日)
昨日の月曜日から仕事が始まっています。昨日はアンダーナースという医学の勉強をした介護者の専門高校の先生に会い、情報を集めました。
今日は市長のシシリア・リンドさんのインタビュー。私の受け入れ先であるクリスティナ・ ウォーミングさんがスウェーデン語を英語訳する通訳をかねて立ち会ってくださいました。リンド市長は英語がもちろん上手ですが、 クリスティナさんのおかげで、とてもスムーズなインタビューとなりました。

私が立てたスケジュールで、クリスティナさんがアポイントを入れてくださり、現地でのスケジュールが決まるのですが、 最初から市長インタビューが入り緊張しました。土、日は、インタビューシートの準備に明け暮れました。 事前に市長に目を通していただくという手順を踏みました。

昨年の10月末に帰国、3ヶ月間、スウェーデン語の資料を、スウェーデン福祉研究所のヨアキム・カウトさんの手を借りて訳しました。 この作業を通じて、書きたいテーマが絞られたのですが、今日のインタビューで、テーマの方向性が
違っていないという意を強くしました。

少女時代からリーダーシップを発揮していたというリンド市長のスタートは看護師です。 1989年からエスロブの高齢者ケアの責任者となります。同時にその仕事を続けながら、1991年から政治の活動を始めました。 5
年前に前市長のリタイアに伴い、社民党(ソーシャルデモクラティック) のパーティの選挙で市長になりました。彼女のライフワークはソーシャルワーク。一緒に働きながら、社会を改善していくことです。 本物の大人に成長するとは彼女のことを表していると言っても過言ではありません。温かく、 心が座っているという表現がふさわしい魅力を存分に感じました。今年9月、スウェーデンは4年に1度の総選挙があります。もちろん市長改選もあります。 エスロブは地理学的にもEU諸国に近く、今、経済的にもよいバランスが取れています。いい企業も集まり、美しい自然も残っています。 そんなエスロブを一言でいうと、コンプレックスシティだそうです。それは64の言葉が話されている多国籍な町という意味です。

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2006年02月08日 08:21 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

リー君の誕生パーティ

2月5日(日曜日)
今日はヴィンセント君の弟のルードヴィヒ(リー)君のお誕生パーティによばれました。
3ヶ月ぶりの訪問です。メールでヴィンセント君が「パーティといっても簡単なティーパーティです」と書いてきたように、
2人組のおじいちゃんとおばあちゃんに、彼の家族5人とブルドックのスカイプが揃うというものです。

父方のおばあちゃんが焼いた実においしいメレンゲパイにナイフを入れようとするリー君。無口だけれど、絵の才能がある彼を
を囲んで、3世代の家族の
楽しい会話がご馳走。私はとても幸せな気持ちになりました。

驚いたのは、たった3ヶ月の間に、3人の兄妹の背が伸びたことです。何とヴィンセント君は3センチも伸びたそうです。
去年の9月に一緒にストックホルムに行った時は、まだ、ういういしい少年でしたが、今回は、青年という雰囲気が加わり
ました。みんな第2外国語の勉強を始めて、一番下のフィリッパちゃんとリー君はフランス語。ヴィンセント君はドイツ語。
この年代の子供の成長ってすごいのですね。


 



 

 

 

 

2006年02月08日 06:46 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

ふたたび、雪のエスロブに

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2月2日(木曜日) 雪のエスロブ駅に降り立ちました。

午後6時前、コペンハーゲンの空港から汽車で1時間あまり、エスロブの駅に着きました。 3度目のエスロブは雪景色。クリスティーナさんと、エスロブでのもう一人の日本人、星名麻衣子さんが駅に迎えに来てくれていて、 スウェーデン流にハグをして再会を喜びました。夫を一人残していることに後ろ髪を引かれる思いがしながら、こうしてまた来ることができて、 心が弾みました。

クリスティーナさんは6時から会議の議長役を務めるのに、私を迎えに来てくれたのです。 大急ぎで駅から車で5分の左の写真の学生寮に送ってくれました。日本を発つ前の数日はとても忙しくて睡眠時間が足りなく、また、 機中でも寝なかったので、頭がふらふらしているにもかかわらず、麻衣ちゃんとタイ料理の店に行き、つもる話をしました。 彼女はケアの勉強をしながら、外国人のための、学費がかからないスウェーデン語の学校にも行っていますが、 この3ヶ月でなかなか進歩したようです。

2月3日(金曜日)

学生寮の部屋の広さは15畳ぐらい。この日は一日かけて部屋の環境を整えました。去年の夏と同じ部屋でした。
去年も考えたのですが、今回の滞在は6週間と短くても、仮住まいという気持ちではなく、QOL(クオリティ・オブ・ ライフ)を高めたいと思いました。と言っても花を買うぐらいのことですが。今回は写真の椅子が加わりました。この日、 クリスティーナさんの家で歓迎の夕食によばれましたが、その時に、食事をする時の椅子を探したいと言うと、納屋から、 アンティークのこの愛らしい椅子を出してきて、貸してくれました。灰色のカーペットとよくマッチしています。 白いレースのベッドカバーはJYSKという店で約2000円。花瓶はなんと500円。チューリップも500円。 麻衣ちゃんが蘭の鉢をプレゼントしてくれ、窓際に観葉植物の植木鉢を2つ置くと、寒々しい感じがしません。この部屋で、これから、 しこしこと、エスロブの高齢者ケアと社会の姿を書く仕事をします。

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2006年02月08日 05:03 |  投稿者: rumi   |  コメント (4)