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2005年10月25日
スタファンさん
9月30日(日)
理学療法士であるスタファンさんの仕事と家庭を通して、スウェーデンの人々の時間の
使い方を少しご紹介したいと思います。まだ、私の短い滞在ではしっかりしたご報告がまだできませんが・・。
スタファンさんはルンド大学で理学療法士としての学位を取りました。
現在はエスロブ市のリハビリ部門とショートタイムケア部門のユニットマネージャー(部長職)として多岐に渡る仕事をしています。
1、ショートタイムリハビリ施設(短期滞在のリハビリテーション)の責任者
2、リハビリテーション(訪問リハビリ、リハビリ)の統括
3、年間23000件の利用があるホームアラーム(緊急通報)の管理責任者
4、「オンタンケン」という家族救済の家の責任者
5、「カリダール」というアクティビティハウスの責任者(ここが素晴らしい!)
6、家族に対しての認知症の情報提供、フットケア(こちらは足の病気の人が多い)等彼の仕事に関してはインタビューをしているので、
追ってご報告をします。
彼は理学療法士というスペシャリストでありながら、マネジメントもできるジェネラリストでもあります。 初めて彼に会った時に、声の発声のトーンと、相手に尊敬の気持ちをこめて接する態度(しぐさ)を大変魅力的に感じました。 そんな忙しい彼ですが、4時になると家に帰ります。また、夕食は5時ごろだそうです。
彼はスーというマレーシア出身のパートナーと二人で暮しています。 星名麻衣子さんと彼の家に呼ばれた時の写真です。スーは表情がいきいきとチャーミングでありながら、 ルンド大学で経済の学位を取る勉強をしている才媛でもあります。 この日のメニューはスーの作ったマレーシャの中国料理とスタファンが時間をかけて作ったスウェーデンを代表する肉団子料理でした。 彼は料理もよく作るそうです。。「毎日、そんなに早く家に帰り、時間をもてあまさないか?」という私の質問に彼は、今、 理学療法士としての技術開発することが多く、勉強することがいっぱいあると答えました。日曜は必ず二人で彼のお母さんの家に行き、 庭仕事を手伝い、友人との食事を楽しみます。
2005年10月25日 18:07 | 投稿者: rumi | コメント (1)
2005年10月19日
スゥーヘランで働く人々
9月29日(木)
「マルガリータはこの道で40年」
と紹介されたチームリーダーのマルガリータさんはまさに現場で鍛え上げられたプロの介護者。
1948年生まれで私より1歳年下です。エスロブの隣町のルンドという京都のようなゆかしい町の精神障害者の施設で4年、
その後、トーベルンドというエスロブのナーシングホーム(介護施設)で31年間働き、
スゥーヘランの2000年の立ち上げに参加しました。アンダーナースの資格を取ったのは42歳の時です。
通訳を頼んだのはルンド大学の大学生のアンドレアス君。 彼はここで75% の勤務をしています。彼が「マルガリータはお母さんのような存在」「スウェーデン人はアイ(私) を優先させて行動する。 日本人はウィ(皆)を大切にする。マルガリータは日本人のような人なんだ」と語りました。彼女は、 この日、 私のインタビューにあわせて、「ハウスモダン」という「主婦の友」のような1930年代の雑誌を何冊も持ってきてくれました。たぶん、 彼女のコレクションの一部だと思いますが、雑誌の話をゆっくり聞く時間が取れないままにインタビューが終わったのが心残りです。
たくさんのお年寄りの死に合ってきた彼女に 「死についてどう思いますか」と聞くと、「死は怖くない。 亡くなった人たちは今も私の心で生きているから」 と淡々と答えてくれました。「ストレスはどのように解消しているのですか」 という質問には 「ここに住んでいる人たちと喋ること」という答えがきっぱりと返ってきた時には、介護の仕事は彼女自身なのだと感じました。
2005年10月19日 04:46 | 投稿者: rumi | コメント (1)
お年寄りの温かさに触れる
9月26日(月)続き
スゥーヘランのサービスハウスでは介護者の方もさることながら、私はお年寄り
(どうお呼びしたらいいのかと迷います)の温かなもてなしが何とも印象的でした。
写真は出窓が廊下に向けて作られている台所に座る84歳のBさんと、21歳の元気なアンダーダーナースのアニカさん、
それにマケドニアから来た明るいフレイヤさんです。Bさんとは、
スウェーデン語が話せない私にとって心が通じ合った瞬間を何度も感じた方でした。
Bさんはお弁当を持参しなかったた私に、「ご飯は済んだの」「コーヒーを飲んだら」と聞き返し、夫の八鳥治久のデザイン集をお見せすると、
「ミッケ フェイント・とてもきれいよ」と何度も賞賛の言葉を繰り返してくれました。Bさんがその生涯をどう生きてきたのかは、
溢れんばかりの思いやりが表情になっているお顔が物語っています。
Bさんは美容関係の小さな会社を経営していた方だと知りました。ご主人と一緒にここに住み始め、今は一人になりました。
スゥーヘランは部屋も大きいので、夫婦で住んでる方も多く、22フラットのうち、夫婦は8カップルもありました。
どの部屋も使い慣れた家具が持ち込まれ、絵やタピスリーが壁を飾っています。
特に本棚を飾る家族の写真はその一生をかいま見る思いがします。両親の写真、子供の頃の家族の写真、自分の結婚式の写真、夫の写真、
子供の小さい時の写真に孫の写真。家族が多いほど写真のコーナーがにぎやかになります。サービス・ハウスは高齢になり、障害を持ち、
人の手を借りて生きる時、その生涯を振り返る場所だと思いました。部屋に入れていただき、
明るい採光と外の世界を部屋に取り込む窓の役割を考え直しました。
2005年10月19日 03:34 | 投稿者: rumi | コメント (0)
2005年10月17日
スゥーヘラン、太陽の斜面の家
9月26日
2000年にリニューアルされたサービスハウス、Solhallan(スゥーヘラン)のご紹介をします。
「Sol」は太陽。
Hallanは平らな岩板という意味で,ポプラの大木が風に揺れる日当たりのいいなだらなか斜面を存分に利用したサービスハウスです。
写真は8月の終わりに2日間滞在した時に撮ったもの。1ヵ月後の9月末に3日間8時間ずつ滞在しました。
全体で71軒の個室があり、 それが二つの部分に分かれています。私が行ったのは「春の玉葱」という不思議な名前のついた方の棟の建物。 1階から3階まで3つに分かれています。この建築がとても素晴らしかったです。玄関を入ると吹き抜けになっていて、 目の前に噴水の水がちょろちょろと流れる蓮の花が浮かぶ池があります。
スゥーヘランはエスロブのサービスハウスの中でもいちばん新しいだけに、脱施設化という意味ではより徹底しています。 それぞれの部屋(アパート?)に付く台所にはダイニングテーブルが置いてあり、何より素敵なのは、コリドー(廊下) に向けて窓があることです。それが、劇中劇のようで、私にはとても面白いと感じました。各部屋も明るく広く、素晴らしいものでした。
2005年10月17日 21:53 | 投稿者: rumi | コメント (0)
2005年10月03日
成熟した大人のカップル
9月17日(土)
少し時間が後ろに戻りますが、このブ
ログ最初のページに登場するのが、
クリスティーナ・ウォーミングさんの家
の庭です。古い農家を自らの手で改
造し、石ころだらけの1ヘクタールの
農地をガーデニングして、彼女と夫の
ヴァントさんは成熟した大人同士の新
生活を8年前にスタートさせました。
ヴァントさんは66歳。元スカンナビ
ア航空の名パイロットです。18歳で
スウェーデン空軍のジェットパイロット
試験に合格したことで、昔、新聞に載
り、一躍、故郷のスモーランドで人気
者になりました。クリスティーナさんは、
エスロブのケア部門の開発担当オフ
ィサーです。私と写真の星名麻衣子
さんの世話役でもあります。
退職後の有り余る時間をどのように充
実させるかと考えた時、彼らのように
広い庭を持てませんが、少年時代の自
然と接する生活を再び手にし、クリエィ
ティブなガーデニングにこつこつと励む
ヴァントさんを見ているとこうありたいと
いう思いにかられます。素朴さと洗練
が同居したこの庭は彼の人生が作り
上げたものでしょう。癒されるのです。
このテーブルを鉄線の花で覆いたい
と思いにふけるヴァントさんです。
2005年10月03日 06:13 | 投稿者: rumi | コメント (2)
2005年10月02日
ゲルマン民族についてヘルシンキで考える
9月20日(火)
昨日からヘルシンキに来ています。デザインを見たいという夫の実質8日間の滞在の4日間を過ごしました。
観光客としての滞在ですが、ヘルシンキは私にとってもスウェーデンを考えるいい対象となります。フィンランドの介護事情はわかりませんが、
私はこの1ヶ月間の取材で、スウェーデンの人々にゲルマン民族の知性を感じてきました。
繊細で情緒的な日本人の情の介護との違いを肌で感じてきました。
スウェーデンの言語はインド・ヨーロッパ語圏に入りますが、フィンランドの言語はウラル・
アルタイ語に属します。街を歩いていて人々の会話が耳に聞こえると、一瞬、ロシア語を聞いているような不思議な気持ちになります。スウェーデンの統治下で600年、
ロシアの統治下で100年というこの国の人々はどんな思いで暮してきたのでしょう。シベリウスの「フィランディア」
を作曲した時の思いと、この国の現在の発展を考えながら、街を散策しました。
街の風景もストックホルムとどこか違います。道幅が狭く、石畳を歩いていると、パリの裏通りを歩いているような錯覚を受けました。
ストックホルムにもガムラスタンという旧市街がありますが、肌合いが違う風景なのです。それに、気のせいでしょうが、メランコリックな沈静した風景なのです。短い旅の印象で簡単に判断するのは避けなければなりませんが。
ヘルシンキの中央駅を歩いていたら、「あっ!」と声をあげてしまいました。
写真は私が働いていた会社の後輩の菅野直子さんです。ご主人がノキアで仕事をしていて、1年前からこちらに住んでいるとのこと。
今はフィンランドの友人の特許事務所の雑用(本人曰く)係として働いています。昔から北欧への関心が高かったこともあり、現在、
北欧の雑貨の本を書く仕事も依頼されたそうです。私が33年間働いた愛する会社の後輩がガンバッテ新しい人生を歩み始めたことが、
何とも嬉しかったです。何という偶然でしょう。
2005年10月02日 19:56 | 投稿者: rumi | コメント (1)
スウェーデンのインテリア
9月15日(木)
エスロブでの生活がようやく1ヵ月になろうというある日のことです。
私は部屋のインテリアを突然変えようと思いつきました。
この日までに6箇所のサービスハウス(ケア付住宅)や認知症の方のグループホーム、療養を伴うナーシングホーム。
それに2地域の在宅ケアサービス。数人のインタビューを終えた所です。正直、部屋のことなど考える余裕はありませんでした。
私はこの部屋で充分満足をしていました。
インテリア替えのきっかけはエスロブでお会いしたもう一人の日本人である浩江・ グンナソンさんのひと言です。彼女に私はインタビューの通訳を頼みました。私の部屋に訪れた浩江さんの正直なひと言。 「なんだか寒々しい部屋ね」でした。そのひと言は、私にスウェーデンのインテリアについて考えるきっかけを作りました。 実は仮住まいだから、あるもので間に合わせようと割り切っていたのです。14,5畳の部屋はたしかにこれで冬を迎えたら、 淋しいかもしれないと思わせるものがありました。それに、 今日は夫の八鳥治久が10日間ほど様子を見にこちらに来る日でもあります。 そこで駅前の雑貨屋さんと花屋さんに出かけることにしました。
ちなみに、浩江さんのご主人はアジア(特にインドパキスタン)
を専門とするスウェーデン人のジャーナリスト。
彼女自身はスウェーデン放送教会の日本支局員という肩書きで日本とスウェーデンを行き来している方です。また、
彼女は現在スウェーデンのアンティークのタピストリーや食器などを
日本で販売する仕事もしています。浩江さんのホームページ:http://www5a.biglobe.ne.jp/~hokuou/
さて、私の部屋は手を加えることで過ごしやすくなりました。 写真では見えにくいかもしれませんが、窓際に小さなランプを2つ。植木を2つ。ベッドの上にオレンジ色とベージュのひざ掛け。 それにセカンドハンドショップ(不要のものの再販の店)で赤いじゅうたんと机をただのような値段で買いました。こちらはこうしたものが安く、 全部で18000円。散財だったけれど気持ちが変わりました。
このインテリア替えで私は2つのことを思いました。
①残り少ないいのちの質(短い滞在)でもそれを豊かに過ごす工夫がホスピスの思想だったこと。
②スウェーデンの人は荒涼とした暗い冬を温かなインテリアでしのいできたのだ。
これをきっかけに、そして、浩江さんからのレクチャーもあり、私は北欧の手工芸やインテリアに興味を広げることができました。もともと、
北欧の食器は私が働いていた店(銀座和光)で1960年代後半から販売を始めたものでもあります。
コラージュを作りました。
ワインを専売している店も見つけました。
2005年10月02日 17:37 | 投稿者: rumi | コメント (1)
スコーネの昔の農家を訪ねる
9月18日(日)
10日間の滞在で様子を見に来た夫の八鳥治久と私を、浩江・
グンナソンさんが彼女のご主人の弟さんが住むビリンゲというエスロブ近隣の村に連れて行ってくれました。
写真は浩江さんと義理の弟さんのレナート・グンナソンさんのいる台所です。
ビリンゲへは電車とバスを乗りついで行きました。
浩江さんは1966年にこの家の長男のご主人に嫁ぎました。浩江さんの義理のお母さんはこの家の2階に6台の機織り機を持っていて、
それぞれの機械でじゅうたんや子供たちのオーバーの生地までを織り分けていたそうです。いい写真がなくて残念ですが、
このダイニングキッチンの床には義母さんが織った120センチ幅の長い長い赤いじゅうたんが数本敷いてあります。
ちなみに隣の部屋はグリーンでした。
ビリンゲはまさに「ニルスの不思議な旅」
のスコーネがそのまま残っているような農村です。ちなみに私は在宅サービスの取材でこの村を一度訪れています。
義弟のレナートさんのライフワークが素晴らしいのです。
彼は忙しい農家の仕事の合間をぬって古い農家を自分の手で建て直しています。古い農家の廃材などを使い、
彼が10年がかりで建て替えつつある農家は実に素晴らしく、夏には観光客が訪れるそうです。写真は彼の家の隣にある、
エスロブ市のパンフレットでも紹介されている茅葺屋根の農家です。この建物の一部すでにウィークリーで滞在できるようになっています。
彼は古い家具やインテリア、陶器の人形などを研究収集していすそうです。
この日、レナートさんの豚が10頭の小さな赤ちゃんを産みました。
初めて足を入れた豚小屋です。ちょっと臭いのですが、なんとも可愛い赤ちゃんです。
豚のお母さんはコレステロールが高そう。豚って本当に太っていて大きいのですね。赤ちゃんに近づくと威嚇されて、怖かった。
豚小屋には大中小のおおよそ50匹(赤ちゃんも入れて)がいました。スコーネの人々は家畜小屋と隣りあわせで暮していたそうです。
日本の東北の昔の農家を訪ねたような気分になりました。
2005年10月02日 17:30 | 投稿者: rumi | コメント (0)
もう一人の日本人
9月14日(水)
しばらくブログにとりかかれませんでしたが、この学生寮に寄宿している星名麻衣子さんをご紹介します。
彼女は浦安市が経営する老人ホームの介護職員でした。この老人ホームのソフト運営はあの聖隷三方原ホスピスです。とにかく、今回、
私が会った3人の日本人の1人です。
彼女はこの老人ホームで、身寄りのないお年寄りを他の職員の皆さんと力を合わせて看取ったという経験を通して、パリアティブケア
(終末期の痛みをなくす温かなケア)を極めたくこのエスロブにたどり着きました。今年の6月から滞在して、
前にご紹介したトルホゴーデンというサービスハウスなどで順番に研修を受けています。スウェーデン語の学校にも通い始めました。
ちなみにこの学校はただです。彼女が同じ学生寮にいてくれたことで、どんなに助けられたか知れません。
彼女も私が着いた時は、2ヶ月が経過し、
日本語が話せないというストレスを感じていました。これは少し前の写真ですが、
二人で学生寮の食堂でとんかつとポテトサラダを作って乾杯しているところです。ちなみに、ビールはアルコール濃度3,5%。
のん兵衛の私たちにはちょっと淋しい乾杯です。
2005年10月02日 17:03 | 投稿者: rumi | コメント (1)